医師の皆様に対して、皆様自身が医師として有意義な人生を送っていただくための相談や勉強会、交流会、情報提供などを目的としたコミュニティです。

医療法人社団明洋会 柴垣医院 自由が丘 人工透析内科・腎臓内科 宮本研先生

宮本研先生のご経歴

2001年 福島県立医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院での初期臨床研修を経て、2003年 横浜市立大学第二内科(現 循環器・腎臓内科学講座)に入局。
関連病院は、2003年から国立相模原病院、2004年から大森赤十字病院、2007年から横浜市立大学附属病院で勤務。2009年から千葉県内の民間病院2ヶ所で勤務し、2016年2月から柴垣医院 自由が丘に入職。同年7月から院長。総合内科専門医・認定内科医、腎臓専門医、透析専門医。
腎臓内科医として急性および慢性腎疾患、二次性高血圧などを数多く診療。関連病院では血液透析用のバスキュラーアクセス作成も担当し、日常的に手術室へ出入りする内科医でもあった。現在はおもに血液透析の維持期を診療しているが、在宅医療を含めたヘルスケア全体への関心が高い。有限会社オフィス・ミヤジンで、医薬コンサルタントとしても活動中。

先生が専攻を決められたきっかけは何ですか?

医学部生時代に泌尿器科の内視鏡・骨盤内手術に強く憧れて、初期臨床研修も泌尿器科医になるために各科ローテーションを選択。しかし医師2年目の臨床研修では、高度な手術操作、抗癌剤治療や病棟での急変などを前にたじろぎ、指導医から医師としての実力不足を明確に言い渡されて、断念。続けて第二内科で研修し、腎臓内科・循環器内科・消化器内科の3つの領域を同時に経験。
患者との対話を中心に据える内科診療が自分の目指す道と思い直し、不出来ながらも腎臓内科医を目指した。とはいえ、どこからも入局を勧誘されないほど不出来な臨床研修医であったため、医局長には説明会への参加を断られ、やむなく当時の教授に直談判。教授からも1週間待つように言い渡され、職業人としての将来を絶望していたのを今でも思い出す。1週間後、教授から入局を許可されたが、その理由が「大学の同級生たちに君の学生時代を聞いたが、ボランティアサークルのリーダーとして頑張っていたそうだ。まあ、大丈夫だろう」との事であった。ただし医師としての信用は乏しいので「国立相模原病院でお世話になってきなさい」と、当時は女性医師のみ受け入れていた関連病院へ。医局長からは「外来は絶対に休むなよ、信用されなくなるから」と助言され、以後、常勤医として定期外来を急に休んだことは現在まで一度もない。

これまでの自身のキャリアを振り返っていかがですか?

卒業後は福島県立医科大学に残る選択肢もあったが、千葉県出身であり東京都の中学・高校に6年間通っていたため、医師になった後は関東地方に戻りたくなったのが地元へ戻った理由であった。また当時はスーパーローテーションの必修化前であり、関東圏では横浜市立大学医学部附属病院がすでに30年以上のローテーション実施歴があった。
初期臨床研修医は80名のうち半数以上が他大学の卒業生であり、出身校を気にしなくても良いことにも大変助けられた。
2年間で外科系各科や救命救急センターなどを経験し、医師3年目の国立相模原病院でも内科レジデントとして幾多の急性期疾患を自力で診療したことで、「医師として食べていくための知識と経験」は早く身についた。ただし、ケアレスミスや知識不足をサポートしてもらえる医師の諸先輩や看護師などにいつも助けられてきた(ときには怒られながら)。研究分野における学問的な才覚が足りないことは他大学出身者と勤務しているときも痛感し、大学病院へ戻った際も学位取得より専門医資格を目指すことにした。
2006年からは独自に製薬企業のMR(医薬情報担当者)向けのビジネス研修も開始したため、以後のキャリアは医師としては異色の部類に入ると思う。製薬業界誌には通算7年以上の連載歴もあり、インターネット媒体での膨大な提言や、ヘルスケア系IT・ベンチャー企業との交流もおそらく医師らしからぬ経歴となっている。しかし、どの時点にも後戻りできないので、その時々で自分なりに最善の選択を続けたつもりである。

医学生や若手医師に向けてメッセージを

医師になったのが25歳で、その後の15年半はとにかく「生きるために働く=稼ぐ」ことに必死の”臨床バカ”が言うのは恐縮だが、悪い意味ではなく、自分を批判してもらえる環境を常に探すべきだと思う。
医学部は6年間にわたって高校時代が続くようなアットホームな雰囲気もあり、社会に求められるべき年齢相応の人格成熟やキャリア形成についても、つい遅れがちだ。また医師という特殊な職業に対して自尊心が大きくなりすぎ、不用意に自己愛護をくり返すリスクも伴う。
学生時代であれば頭を下げる経験としてボランティアやアルバイトに励み、スポーツで切磋琢磨する勝負心を養っておくことも重要だ。また海外へ出かけていく経験は、医師となってからの多忙な日々に対しても役立つであろう。私は研修医時代、UCLAの内科医を訪ねたことが一つの原点になっている。また若手医師が現在経験している状況は、2001年当時に私が予想していた職業とも大きく異なる。
医師は公的な職業であるから、キャリアにおいては政治や経済、場合によっては世界情勢にも大きな影響を受ける。
研究者を目指す医師ですら、巨大ヘルスケアビジネスとしての医療を無視できない時代であり、信頼できる知己を大切にしながら、日々学び続ける姿勢を大切にして欲しい。
かく言う私も、患者と対話から暗中模索をくり返すばかりである。

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